セクシュアルマイノリティへの理解を深める

今現在の日本におけるセクシュアルマイノリティに対する差別は以前として根強く残っています。
「普通」の性を生きろという圧力は、今も多くのセクシュアルマイノリティを傷つけているのです。
セクシュアルマイノリティとは、社会の想定する「普通」ではないあり方を生きる人々のを指す総称です。

「普通」という暴力に対してアプローチをするには、多様な性に対しての知識という基盤がなければ不十分になります。しかし、多くの人は暴力や差別は知識ではなく「良心」や「道徳」で防ぐものだと考えています。
暴力や差別は、他の人への悪意を持つ人が行うものなので、悪意をもたないようにする・させることが重要だと考えているのです。

もちろん「良心」や「道徳」も大切なのですが、セクシュアルマイノリティに対する差別の根強い社会においては、表向きの好感とその背後の偏見の落差は、具体的なセクシュアルマイノリティの当事者に対する差別の解消に役立つ事はほとんどなく、場合によってはさらに傷つけかねません。

セクシュアルマイノリティについてよく知らないのに、「良い人」側であることをアピールする営みは、メディアの報道の中にもあふれています。
「自分とは関係のない、よくわからない人たち」という感覚のまま、それらを曖昧なまま語ってしまおうという欺瞞が存在するとも言えます。

セクシュアルマイノリティに多くの種類があるのは、多様な性のあり方をごちゃ混ぜにしてしまう考え方を当事者が批判し、互いの違いを明確にしてきた歴史が存在するからです。

このように、セクシュアルマイノリティの個々の違いを考慮せず、とりあえず「 LGBT」という目新しい言葉で括っておけば「良心的」な側に立てるという報道のあり方には問題があり、結局のところセクシュアルマイノリティについての基礎的な概念は全く理解されていません。

「普通」を押し付けてしまわないためには、差別をしてしまわないためには知識が必要なのだと思います。
知ったかぶりをして「いい人」をアピールするよりも、正確な知識を持っていることの方が、他者を差別しないためには重要なのです。
じっくりと冷静に知識を得ることで、自称「いい人」から多くの人が脱皮することが、差別のない世の中を作る1番の近道だと思います。

多様な性について知ることは、多様な性に対する差別について知ることにはつながらないですが、差別から離れて多様な性のあり方を認識できた上でなら、その多様さを詳しく調べたり考えたりすることはそれ自体が楽しくなりますし、楽しいことであって良いのです。
まずは、セクシュアルマイノリティについて知識を深めていくことから始めませんか?

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