日本のトランスジェンダー概念史

数十年にわたって徐々に積み重ねられていったトランスヴェスタイト、トランスセクシュアル、トランスジェンダーという概念は、日本においては1950年に使われ始めます。

日本の歴史を紐解けば、異性装あるいは、身体上の「性別」と異なる性別を生きる人々の霊は多数存在します。弥生時代末期に遺跡の中から、身体上の「性別」は男性であるにもかかわらず、女性の装飾品を纏っている白骨が見つかったこともあるそうです。

平安時代に書かれた「とりかえばや物語」は女性の遊びや所作をすると大人しい男性が女装をしたり、男性のような遊びや所作をする女性が男装をして社会に出るお話があったり、室町時代に作られた「心蔵人物語」という絵巻にも「私は男になって走り歩きたい」と願う女性が、男装をして宮中で活躍する話があります。
この物語の女性は、異性装をするだけでなく、身体においても男性であることを望んでいたようです。

ここで重要なのは、こういった例が異性装や身体上の「性別」と異なる性別を生きる経験の歴史的事例なのか、同性間の性行為に関する歴史的事例なのかを明確に区別することはできないということです。

同性愛と明確に区別されていなかった異性装や身体上の「性別」と異なる性別を生きる経験は、性科学が日本に輸入され1920年代に同性愛が「変態性欲」として抑圧されると同時に、強く抑圧されることになります。結果として、以前から日本に存在した異性装文化はアンダーグラウンド化していくことになります。

異性奏者が再び脚光を浴びるようになるのが、1958年の「ゲイ・ブーム」です。
進駐軍によって戦後「ゲイ」という言葉が日本に持ち込まれ、1950年には「ゲイ」が経営するゲイバーが開店しています。
1958年に売春防止法が施行されて、新宿二丁目ではもともと遊郭だったところが10年ぐらいで「ゲイバー」になっていきます。同時期に「ゲイバー」やそこで働く「ゲイボーイ」がメディアに大きく取り上げられ「ゲイ」ではない人々が観光目的で来店するタイプの「ゲイバー」も現れるようになりました。

ただし当時の「ゲイバー」には、異性同性愛者と女装者が混在していて、両者は明確に分かれていなかったことがここでも重要です。観光目的の「ゲイバー」は主に「中性的あるいは女性的な服装と振る舞いをする店員」が接客するものであったので、「ゲイバー」によって可視性が高まったのは主に異性装者や身体上の「性別」と異なる性別を生きる人々であったと言えます。

1960年代以降、「男らしい」男性同性愛者と、身体上は「男性」でありながら「女であろうとする」人々は次第に区別されるようになり、1980年代にはその境界は鮮明なものになります。
1981年にメディアを震わせた「ニューハーフ」という言葉は、大阪で「ベティのマヨネーズ」というパブを営むベティさんが「アイ・ラブ・ユーはひとりごと」という作品でレコードデビューすることになったときに、サザンオールスターズの桑田佳祐さんと対談する機会があり、その中で桑田佳祐さんの発言から「ニューハーフ」という言葉が誕生しました。

1998年ごろにテレビを発端として用いられるようになった「Mr.レディ」や「Miss.ダンディ」といった言葉の存在は、現在なら(広義の)トランスジェンダーと呼ばれる人々が同性愛者とは異なる存在として認識されていたことを示しています。

トランスヴェスタイト、トランスセクシュアル、トランスジェンダーと言った概念が異性装者や身体上の「性別」と異なる性別を生きる人々に普及するようになったのは1990年代です。心理学者の渡辺恒夫さんが一連の概念を日本に紹介し、当事者の自称として、あるいは学術的な用語として用いられるようになりました。

1990年代後半には(広義の)トランスジェンダーのうち医療を必要とする人々への診断名として、性同一性障害という言葉が日本でも用いられるようになり、1998年以降は日本でも学会のガイドラインに基づいた性別適合手術が行われるようになります。

2003年には「性同一性障害者の性別の取り扱いの特例に関する法律」が成立し、2004年から一定の条件のもとで性同一性障害の患者は戸籍上の性別を変更できるようになりました。

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