「婚姻の平等」へ。「同性婚訴訟」初判決まであと8日

同性婚は2001年にオランダで法律が施行されて以降、欧米諸国を中心に現在約30の国・地域で認められています。
反対派が根強くいるアメリカも、2015年に連邦最高裁が同性婚を禁じる州法を違憲と判断し、全集で認められるようになりました。
アジアでは2017年に台湾の憲法裁判所にあたる司法院大法官会議が意見判断をし、2019年に同性婚が実現しました。

日本ではどうなるのでしょうか?
たとえ憲法制定時に同性婚が想定されていなかったとしても、ここ最近ではLGBTなどセクシュアルマイノリティへの認知が高まってきており、社会情勢や国民意識も変わってきています。

東京原告の一人である、佐藤郁夫さんは裁判を通して、同性同士で結婚できるようにして欲しいと訴え、「死ぬまでの間に、パートナーと法律的に結婚をし、本当の意味で(夫夫)になれれば、これに過ぎる喜びはありません」と語っていましたが、今年1月18日に急逝しました。脳出血で倒れ入院した病院で、パートナーの男性は佐藤さんの病状説明を受けるのを拒まれたと言います。
現在では、親戚ではないという理由で、病状説明を拒まれてしまったり、看取りに立ち会えないこともあります。

佐藤さんは、自分自身の性のあり方について抱いてきた否定的な感情を、若い人たちに感じて欲しくないと望んでいました。
「同性同士の婚姻が認められることは、わたしが若い頃に持っていた自分自身に対する否定的な気持ちを、これからの世代の人たちが感じなくても良い社会にすることです」と2019年4月に行われた第1回口頭弁論で語っています。

弁護団の永野靖弁護士によると、佐藤さんが自分が同性愛者であると気がついたのは1970年代。
同性愛が「異常」や「変態」とされていた時代で、テレビでは同性愛者が「ホモ」や「オカマ」と笑われていたような時代で、その当時の広辞苑には同性愛が「異常性欲」と書かれていたと、永野弁護士は振り返ります。

佐藤さん自身も「当時学校では、同性愛について何も教えられず、インターネットもありません。テレビで男性を好きな男性が「オカマ」と呼ばれて嘲笑われている姿を見て、自分がゲイであることは誰にも言えないと思うようになりました」と語っています。

それから半世紀が経ち、LGBTQ当事者を取り巻く環境は大きく変わりました。
全国の自治体や企業が同性パートナーシップ制度や、ファミリーシップ制度を導入するなど、理解を促進する動きが加速してきています。

佐藤さんとパートナーのよしさんは、2019年に婚姻届を提出しましたが、その時対応した職員から「おそらく不受理になると思います」と言われますが、代わりに「結婚記念カード」が発行されました。
この時、佐藤さんは「まるで結婚が認められたような気持ちになり、とても幸せを感じました。いつか本当に婚姻届が受理されたら、きっと感動して泣いてしまうだろうと思います」と第1回口頭弁論で振り返っています。

しかし、その「結婚記念カード」は、二人のお守りとなることはありませんでした。
佐藤さんが倒れた時、パートナーのよしさんは勇気を持って「パートナーである」と告げたにも関わらず、医師は「親族でなければダメだ」と目の前にいるよしさんへの病状説明を拒否し、別室から佐藤さんの妹に電話をかけたそうです。

「佐藤さんの入院先はHIV診療の拠点病院であり、多数のゲイ当事者を受け入れている病院です。その病院ですら、愛するパートナーの病状説明を受けることもできない。こんな理不尽なことが繰り返されているのです。もはや医師の善意に頼ることはできません。法整備が必要なのです」

永野弁護士は、陳述の最後に「愛する人と結婚したい、そんな当たり前の願いが実現できなかったのです。憲法はそれを許すのでしょうか。佐藤さんはそれを問うています」と訴えました。

「自分やパートナーに何かあったときに家族として扱ってもらえないのでは」という不安は、原告を含めた多くのLGBTQ当事者が感じている気持ちです。

2月25日には、衆院予算委員会分科会で、尾辻かな子議員(立民)が同性婚を巡る憲法解釈について質問しました。それに対して上川陽子法相は、同性婚を認めるか否かについて「わが国の家族の在り方の根幹に関わる問題で、極めて慎重な検討を要する」と、これまた毎度の答弁で返しました。

東京の原告代理人の加藤慶二弁護士は「国の議論が進まないので司法に救済を求めている。同性愛者への差別を断ち切るため、司法は主体的に判断をして欲しいと話しています。

同性婚訴訟は今月17日、札幌地裁で初判決が言い渡される予定です。裁判官には「婚姻の平等」への議論を促す、積極的な判断を期待したいです。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。